不食と食べ物の「気」

(深澤)
最近、不食の話をよく聞く。
 
そんな中、以前、勤めていた会社の顧問弁護士だった秋山さんが(今や不食で有名)、よくプラーナを食べて生きていると言っていたなぁ、と思い出した。。。
 

気と満足感

この話題にしようと思ったのは、めったに開かないFacebookで、T先生が投稿された記事が目に入り、昔の記憶が鮮明に蘇ってきたからだ。
 
15年前、地元のA先生から、僕は初めて「気」という概念を教えて頂いたのだけど、その時に、気が入った食べものは満足感が持続するという実験を何回もして頂いた事がある。
例えば、同じコンディションの料理を用意して、片方には気を入れて、片方はそのままで食べるといった具合で。気を入れてない方の食事を食べると、食後に何かを食べたくなるのだけど、気が入っている方の食事を食べると、満足感があり、食後に何かを食べたいとあまり思わなくなる。
 
お腹がいっぱいになる感覚とはちょっと違って、満足度が高いという感じで、そういう食事を続けていると、少ない量でも満足感が得られるようになる。もちろん味も違って、気を入れた食事は、マイルドであったり、透明度が高いという特徴がある。(ここら辺の話は、ふだん料理革命で書いた。)
 
よく人間には、物質的な体と精神的な体(エネルギー体)があるなんて言われるけれど、気と満足度の関係は、精神的な体の栄養補給が通常よりも大きいからではないかなと勝手に推測。料理は、素材の生命をいただくと昔から言われているしね。。
 

想いと中身をいただく

そんな経験もあり、僕は、料理は見えない中身も大事だという妄想を抱き、気功を知らない人にも抵抗なくできる調理法はないだろうかと思ってたら、たまたま呼吸の料理を思いついた。(ただ、「中身(気のエッセンス)」だけだと、現実的ではないので、呼吸の料理では、料理としての完成度をあげる構成やひらめきコツも盛り込んだ。)
 
この調理法の発端は、学生の時に、矢山利彦先生が考案した呼吸メジャー法を、A先生から教えてもらったのがきっかけになった。気功を知らないひとでも、結果的に気の流れを感じることができる方法だ。呼吸に配慮して調理すれば、その中身を意識して調理することが誰でもできる。呼吸は、誰にでも最も身近で万能なものなのだ。
 
だから、不食の話が最近出てきているけれど、見た目でなくて、中身を意識した調理をしていくと、食べものを「食べる」という意識に少し変化が出てくる。これは何も、調理だけでなく、「いただきます」ということだって食事がどうやってこの場までやってきたか、想いを馳せ中身を意識するという意味では、同じ。
 
エネルギーというのは、見えないものだし、想いみないなものだから、生産者や輸送業者、販売者などへの感謝だけでも、食べものを頂く意識や、頂く食べものそれ自体が変化してくる。
 
笑い話だけど、10年前、こういう綺麗事に憧れているとき、食前の祈りが長くて、友人に寝てるのかと心配された事があった。今も当時も、僕は、無宗教だけれど、当時は、傍若無人で厚かましい信仰心があったようだ。。。笑
 
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