コーヒーとクレーム(Crème)

深澤大輝
ふかさわ:今日は予定より駅に早く着いたので、特急列車の待ち時間、スタバでコーヒーを買いに。
カウンターに並ぶ客は一人。でも、なぜかなかなか順番が回ってこない。前の客が50円のサービス券でもめていたからだ。。。

客は悪いのか?

そのお客さん、多分めっちゃクレーマー。店員さん困ってたけど、頑張って対応していた。
普通だとその人は、社会で疎い目で見られる。店員さんは悪くない、お客さんの方が悪い人。そういう対立が出来上がる。
でも、実際はその人が良い悪いは関係なく、自分がその人や自分がもどかしく思う状況を受け入れられないという理由でジャッジすることが多い。

人は、良い悪いの判断に逃げた方が楽

だから、この出来事についての良い悪いはひとまず置く。(実際、僕も実家が製造業だったので、食品のクレームについては、店員さんに共感してしまう部分の方が多くあったけどね。。)
兎にも角にも、日常の中で僕らは、良い悪いのジャッジをすぐにしてしまう。そうすれば、自分が今どう感じているかについては感じなくて済む。

ワークも同じ

フードサイコロジーのワークでもこの点は同じ。ワークには、良い悪いの判断をなるべく持ち込まない。
例えば、泣く=解放=ワーク成功という視点があるけれど、それはワークを提供する側からの視点にすぎない。あまりそういう価値観を持ち込みすぎると、クライアンはワークで本来の自分でない自分を演じてしまうかもしれない。
そうすると、その場はうまくいっても、結局は、のちのち失敗する事もある。確かに、その場はすっきりするので、「してもらった感」があり充実するんだけれど、ワークする側の価値観で成功にこじつけたとしても、された側が自分で解決する力がつくとは限らない。
ようは、ワークを提供する側が、ワークしている神聖な場所に、自分の良い悪い(成功失敗)という価値判断を持ち込んでしまうと、受ける側の解決力が引き出されない可能性がある。

御法度

フードサイコロジーのワークでは、これは御法度。
ワークの時間内に無理に解放してしまうよりは、よく味わって自分自身の力で問題に向き合ってもらう方が自分の力がつく。だから、フードサイコロジーでは、30日間のフォローワークを設けている。むしろ、ワークした後の30日間の方が本当のワーク。
ワークをうけて、なるほど、ではなく、しっかりと取り組んで、その後も自分でちゃんとケアできる力をつけてもらいたい、そんな思いを密かに持って僕はワークに取り組んでいる。
人に解決してもらったこと、与えてもらったことは、自分のものではない。そういうものは、一見良くても、長続きはしないのだ。
have a nice Tuesday!! taiki
>> フードサイコロジーのワークを東京以外で気軽に受けられようになりました。