愚者の演出

深澤大輝
ふかさわ:先日、とある会食の席で、「愚者の演出」ってどんなものか?と、話題になった。
会社や子供の教育など、あらゆる立場において、偉そうにするより、アホウをあえて演じる方が、現場の力がつき、自ら学ぶ力が発揮されるというものだ。
愚者の演出か〜と、上の空で、目の前の料理に舌鼓を打っていた僕は、急遽話を振られて焦った。。。

人間性の経営学

愚者の演出というのは、アイボやCDを開発された元ソニーの上席常務の天外伺朗さんが、フロー経営を説明するときによく使われる言葉。
フロー経営は、定義するのが難しいけれど、かいつまむと、指示命令はしなく社員内側からのやる気と幸福感を尊重するマネジメント。
その一例として、残業廃止、タイムカード廃止、給料を一般公開、給与は社員が決めるなど、一瞬え?って思うようなアプローチで業績を上げている企業がいまや世界中で増えて来ている。ようは、会社の中のコントロールをなるべく手放すというもの。

ただ、難しい。。。

でも、そうなんだって思って、一気に導入するととんでもないことになる。
フロー経営は、トランスパーソナルなどの深層心理学を元に体系化されたもので、マネジメントの仕方というよりも、そのマネジメントをしている側の内面が重視される人間性経営。
だから、会社の自由度を高めても、マネジメントする人の心の中のコントロール願望を外さないと多分不可能。フロー経営では、手法よりも見えない部分がとっても大切。

みんな自分の中は見たくない。。。

僕も以前、呼吸の料理やフードサイコロジーとの共通性を感じ、天外塾に参加して経営者の方たちと一緒にフロー経営を学ばせて頂いた。
そこでは、みんなサイコセラピー的なワークで自分の内面と向き合わなければならない。誰でも、自分の見たくない部分を掘り返すのは辛いものだ。僕も普通の人間だから、心の探求を始めれば、心の中はグッチャグチャ。。。やればやるほど出てくる出てくる。(終わりはないね、トホホ・・・)
その期間中、せっかくだからもっと貪欲にやろうと思って、自分で厳しくやっていたのだけど、一度、43度近い高熱と体の痛みが出て死にそうになったことがあった。(見てはいけない向こう側が見えた気がした・・・笑)
とはいえ、本人はギリギリまでのんきなもので、やけに体が熱く、目の前がにじむなぁ、程度に思っていて、熱を測って驚いた。

過去の自分が顔をだす

自然療法の世界だと、好転反応と呼ばれるものがある。よくなる過程で、一瞬症状が悪くなるというもの。
ようは、押し込められてたバネを普通の状態に戻そうと思って、うっかり勢いよく外すと押し込められてた反動が返ってくるというものだ。僕が高熱と痛みに苦しんだのも、好転反応の一種だろう。
ただ、この時の好転反応の原因は自分でもよくわかっていた。僕は、社会の中でのアイデンティティーの喪失をとても恐れていた。そのアイデンティティの崩壊に対する恐怖が抑えられなくなって、アクティングアウトしたのだ。

体の自己調整機能

詳細は長くなるので改めて書ければと思うけれど、自分の中にあるよく分からないモヤモヤをワークによって感じてあげると、心理学者のユングが言っていたような、体の自己調整機能が働いていく。
僕の場合はやりすぎだったのかもしれないけど、ワークをやり始めると、今まで感じずにしていれば楽だったヘビーなものを感じる事が、少なからず多くなる。というよりも意識的に感じるので、通常よりヘビーに感じる。
でも、それを乗り越える事で、しっかり自分で対応する力がつくし、自分のライフマネジメントをする感覚は圧倒的に変わってくる。だんだんと、見たくない自分との仲が良くなっていく。(親友になんて中々なれないけど。。。)

粗い自分と仲良しに・・・

少し仲が良くなってくると、不快な感覚が少なく中立的な感覚が多くなる。そうすると、だんだんと人の事が気にならなくなってくるし、思い通りにいかないストレスも激減する。
そうなってくると、自分をベースに行動する割合が多くなるので、創造力も発揮しやすくなる。このあたりは、呼吸の料理とほぼ同じ。
経営者でも、子供の教育でも、対人関係でも、最終的には、こういったテクニックでは解決できない、自分の内側の問題に向き合っていくようになるし、どんな分野にいても、より良い仕事をしたいと思ったり、仕事や日常に充実感や幸福感を求めるなら、内面に向き合うワークは必須になってくる。

内面重視なワーク

フードサイコロジーでのワークは、この時の経験も色濃く反映されてか、本人の自主性に委ねる要素をだんだん多くしてきている。
結果的には、ワークを提供する側があれこれやるよりも、自分で取り組んだだけの方が良い結果が出る。僕らは、ほんのちょっとそのプロセスが進む流れをよくするだけ。
フードサイコロジーのワークは、ワーク後のサポートがついている。ワーク当日も大事なんだけど、本当に大切なのは、その後、自分との勝負にあるからなのだ。
>>フードサイコロジーの集中ワークはこちら

コーヒーとクレーム(Crème)

深澤大輝
ふかさわ:今日は予定より駅に早く着いたので、特急列車の待ち時間、スタバでコーヒーを買いに。
カウンターに並ぶ客は一人。でも、なぜかなかなか順番が回ってこない。前の客が50円のサービス券でもめていたからだ。。。

客は悪いのか?

そのお客さん、多分めっちゃクレーマー。店員さん困ってたけど、頑張って対応していた。
普通だとその人は、社会で疎い目で見られる。店員さんは悪くない、お客さんの方が悪い人。そういう対立が出来上がる。
でも、実際はその人が良い悪いは関係なく、自分がその人や自分がもどかしく思う状況を受け入れられないという理由でジャッジすることが多い。

人は、良い悪いの判断に逃げた方が楽

だから、この出来事についての良い悪いはひとまず置く。(実際、僕も実家が製造業だったので、食品のクレームについては、店員さんに共感してしまう部分の方が多くあったけどね。。)
兎にも角にも、日常の中で僕らは、良い悪いのジャッジをすぐにしてしまう。そうすれば、自分が今どう感じているかについては感じなくて済む。

ワークも同じ

フードサイコロジーのワークでもこの点は同じ。ワークには、良い悪いの判断をなるべく持ち込まない。
例えば、泣く=解放=ワーク成功という視点があるけれど、それはワークを提供する側からの視点にすぎない。あまりそういう価値観を持ち込みすぎると、クライアンはワークで本来の自分でない自分を演じてしまうかもしれない。
そうすると、その場はうまくいっても、結局は、のちのち失敗する事もある。確かに、その場はすっきりするので、「してもらった感」があり充実するんだけれど、ワークする側の価値観で成功にこじつけたとしても、された側が自分で解決する力がつくとは限らない。
ようは、ワークを提供する側が、ワークしている神聖な場所に、自分の良い悪い(成功失敗)という価値判断を持ち込んでしまうと、受ける側の解決力が引き出されない可能性がある。

御法度

フードサイコロジーのワークでは、これは御法度。
ワークの時間内に無理に解放してしまうよりは、よく味わって自分自身の力で問題に向き合ってもらう方が自分の力がつく。だから、フードサイコロジーでは、30日間のフォローワークを設けている。むしろ、ワークした後の30日間の方が本当のワーク。
ワークをうけて、なるほど、ではなく、しっかりと取り組んで、その後も自分でちゃんとケアできる力をつけてもらいたい、そんな思いを密かに持って僕はワークに取り組んでいる。
人に解決してもらったこと、与えてもらったことは、自分のものではない。そういうものは、一見良くても、長続きはしないのだ。
have a nice Tuesday!! taiki
>> フードサイコロジーのワークを東京以外で気軽に受けられようになりました。

教えず感じると、相手も変わる

深澤大輝
ふかさわ:なんか最近のフードサイコロジーは子供の話ばかりだぞ。って言われてしまいそうだけど、今日もその話w
結構ね、教育の話って面白くて、子供の教育の考え方を考えていくと、社会人も同じだし、もっと言ってしまえば、セラピストやカウンセラーだって、経営者だって一緒になる。
自分が続けてきているのも、自分のいい勉強になるからでもある。人にワークをする立場なら日々のトレーニングは欠かせない。
以前、苦労した教え子がいたんだけど。。。そりゃもう、超がつくくらいの悪ガキで、皆に煙たがられて、僕のところにある日突然やってきた。。。

もうね、最初に言っておきますが、、、、

最初、全然っ授業にならなかった。もう動物園状態でした。
それでね、その時、僕もなんとか言う事を聞いてもらいたい状態だったから、あの手この手を尽くして、交換条件とか、世間話とか、その子の好きそうな話とか、鼻先に人参をぶら下げる戦法で、なんとか勉強してもらおうと手を尽くした。
でも、結局ダメだった。それどころか、嫌な事をたくさん言われ、わりとメンタル自身あった僕も少し凹んだ。というか、意識的には凹んでない気がしてたのだけど、気功をやっているからか、何かキツく言われる度に、胸のあたりの気がひどく歪んでいるのがわかった。
胸をえぐられるように苦しかったのに、いい人ぶって笑顔で、授業を進めようとしたのを今でも覚えてる。自分は全部知っていたのにさ。。

あぁ、どうしよう・・・

なんとかしなきゃ、どうしたらいいのかな、そう思って最後に始めたのは感謝のワーク。
意識的にはスルーできてるつもりなんだけど、相手の発言に自分の胸が苦しくなるってのは、自分にも何か似たような後ろめたい想いがあるって事。普段、無意識にうまく隠してるけどね。
それを感謝のワークでアプローチした。やり方は簡単で、イメージしたその子を目の前にして、毎日ひたすらワーク。毎朝晩とり組む。それで2、3週間くらい経ったあたりから、何かを言われても胸の苦しみが出なくなるのがわかった。

自分の先入観が外れる

いつもは胸が詰まる言葉にも特に引っかからなく、聞くとその言葉の先の情景っていうのか、その子の想いっていうのがだんだんと見えてきた。
というか、むしろ、辛かったのは僕じゃなくてお前の方か!って、その子の心の中を垣間見た気がして、辛い想いを共感してしまったからか、僕も泣きかかった。。。結局、僕は、自分の心が乱れる方に気をとられ、その子のメッセージに気づいていなかったのだった。
それから、なんかしらないけど、その子が、自分から勉強やるようになってきたし、なにより、椅子に座ってられるようになった。

自分に腰を据える

僕は、ワークを始めてから、その子に強制するのを一切やめていたので、その子が自分をベースに動き始めた事が嬉しかった。自分の意思をはっきり伝えるようになったし、好きな事に夢中になる力に磨きをかけた。そんで、無事受験も終わり卒業。
僕にとってもこれはいい経験で、ここで取り組んだワークのおかげで、苦手な人と喋るのが圧倒的に楽になった。結局たまたま、その子との相性が最初は良くなかったんだけど、そのやりにくいなって気持ちは、他のシチュエーションで感じる物と根っこで繋がっていたって事。
みんな嫌な想いってのは、鬱陶しいから、心の奥深くにしまっているもので、自分でそれを取り出す事はなかなか難しい。
でも、それをかき混ぜ、引き出してくれる相手が出てきたときには、鬱陶しさを消化していくスーパーチャンスにもなる。

どこまで向き合っていったらいいのか

ある先生は、人間死ぬまで、すったもんだしてるんだよって言っていた。
日常の些細な事に一つずつ取り組んでいくことで、自分が上っ面でなく腰を据えて相手と向き合うことができるので、相手も自分に腰を徐々に据えていくことができる。
人に何かを言って変わってもらうよりは、人間味があって暖かい解決方法の一つでもあるんじゃないかな?
この感謝のワークは、フードサイコロジーでも取り入れているワークだけど、感謝の力って毎回すごいなと想う。
フードサイコロジーで、自分で解決する力をつける技術を身につけてもらうワークをしている。ただ、フォローワークをちゃんと設けている。たった1回だけのワーク、しかも人に教えてもらっただけでは、そんな力はつかない。ちゃんと自分で向き合ってこそ。
人から与えてもらうものは、なくなるけれど、自分から向き合ったものは、残るし次のきっかけにもなる。
あなたの周り、苦手な人いたりする??
後日談:その後、しばらくたってから、たまたま外でその子に出くわした。恥ずかしそうに挨拶してきたから「なんだ、ちょっと大人しくなりすぎたんじゃないの?」って茶化したら、うるせ〜ってハニカミながら言われた。ん〜、いいねっ!enjoy your life!!
>>フードサイコロジーのワークはこちら

子供の勉強は、ほとんど教える必要はない

深澤大輝ふかさわ:僕には、ちょっとした趣味がある。子供の教育だ。結局なんだかんだで10年以上続いている。
といっても、僕は、大学生まで勉強嫌いだったので、自分が嫌いだった勉強を子供に教えるなんてのはナンセンス。だから、僕は基本教えないスタンスをとる。
でも、割とそれで十分だったりする。それが、実は本人の実力を引き出す鍵になる。

自分に接地する

接地って言葉、あんまり聞かないかもしれないけど、スピリチュアルの単語で言えばグラウンディングって概念に近い。
最近は、会社の社長さんとかと話してても、社員のグラウンディングなんて言葉が出てきたりする。(前まで怪しい世界の単語だと思っていたのに、変わったもんだ。。。)
表面的に言ってしまえば、自分自身に気持ちのズレがないようにしていくのがグラウンディング。人に言われたからやるって事をしていると、行動する原動力(動機)が自分にないからエネルギー切れが早い。
逆に、自分でやろうと思えば、エネルギーはいっぱいあるから、エネルギー切れになりにくいし、吸収力は半端ないし、自主性があるから、教える側はあんまり教えなくてもいい。ただプロセスを進めるだけのファシリテーター的ポジションになる。

教えなくても十分

普通は、勉強って教えようとするんだけど、それだと、動機がどんどん外側になっちゃう可能性ってある。
学ぶ意欲を促進するっていうよりは、やらされ感満載で、エネルギー源が枯渇していく事ってまぁまぁある。じゃぁ、その動機を見つけてもらうのどうするのか?
僕も自分でやっていて思うけど、もし子供が勉強しないなら、それは教える方の気持ちにある。自分の心の焦りに負けて見守れなかったり、自分の感情をごまかして表面的にいい人や笑顔あふれる人格を装う自分にね。

場作りは、教える側しだい

そういうのって伝わっちゃうんだよね。勉強しようがしまいが、どっちでもいいんだって思える安心の場作りってのは、ほぼ関わる側の気持ち次第。
でも、そのなんだか見守れない、つい言ってしまうっていう感覚は、実は、過去の自分の記憶が関係している。フードサイコロジーでも、子を持つ親のためのワークをして、子供が生き生きしてくるケースがある。子供の場合は、食とかでもアプローチできるから、食と心のフードサイコロジーだと、幅広い相談に対応することもできる。
と、まぁ、あれこれいってもしょうがないけれど、内側にグラウンディングして、アプローチをするなら、自分次第。子供の教育も、社員の教育もほぼ変わらない。
今の自分、内側のエネルギーで動いてる??
>>フードサイコロジーのワークもお試しあれ

なまはげセラピー!?・・・

深澤大輝(ふかさわ)
うぉー!うぉー!ドンっ!!とふすまを開けて入ってくる、包丁を持った神様、その傍若無人なたたずまいに子供は泣き、大人も心の中で驚く。。そして、間髪入れずに、感動が僕に襲い掛かった!・・・
昨日、東北から帰ってきて、東京がいつもよりも暑く感じる。あんまり出張の事書いてないな〜と思いながら、一昨日の感動に今朝も浸った。
その原因は、何をかくそう、なまはげ、、、今回は、大晦日にやっている伝統行事の秋田県真山地区のなまはげの再現や実際の映像をみさせてもらった。
Photo 19-10-2015 15 08 02

泣ぐ子はいねが・・・?

あれ、初めて見ると相当ビビる、、、まぁ、再現には、そういう演出も入っていたんだろうけど、、、
その地区のなまはげは、大晦日に、神社で身を清めた若者が2人が1組で役になり、衣装をかぶり一軒一軒を回るのが風習らしい。(なまはげさんも疲れるので、実際には何人かが交代でやる)そんで、先達人がその2人を案内していく。家に入ると、主人や家族との対話が始まる。なまはげは主人に今年一年の諸々を問いただす。

「子供はいい子にしてるか?学校行っているか?親孝行しているか?」
「嫁はしっかり家事をしているか?祖父母の世話をちゃんとしてるか?」など。
(こんな内容が、その地域の言葉でやり取りされた。)

主人は、みんなの前で怒られ役を買う。決して神様に反発するような事をせずに、家族の前で愚者を演じる。そして、一通りの問答が終わると、なまはげにお礼をして、今年一年を締めくくる。

生きる力をつける風習

そんな流れなんだけど、みてて僕らが今最新だと思っているサイコセラピーや経営学のベースの部分というのが完全に一致していた。子供の教育や会社のマネジメントでは、最近、愚者を演出することが話題になっている。(といっても、もっと昔は普通のことだったんだけど。。。)
上司や親、先生が、愚か者に自らなることで、生徒や社員、子供が自分で生きる力を獲得するプロセスが始まる。ただ、表面的に装っても上手くいかない。心の奥底で、相手のことを信頼していなければ、それが相手に伝わってしまい、その高貴なプロセスが始まらない。愚者は本当の愚か者になってしまう。。。。そこで、最近ではサイコセラピー的なワークを組み入れて、ビジネスや教育、子育てに取り入れようとしているところが、ちょっと前より、かなり増えてきた。
なまはげのところでは、父親が愚者を演じているけれど、それを見ている周りの家族が自分の体験を客観的に振り返る機会を得ると共に、父親の普段とは異なった面に触れることができる。

客観視と味わい

感情は、e- + motionって書くように、外に出たい(e-)動き(motion)のことなんだけど、外に出たいエネルギーをよく味わうと消化されていくという仕組みを持っている。主人がなまはげに怒られるシーンは、なまはげからくる激しい情動と共に、客観的に自分が封印してきた感情を味わうチャンスだ。
こうやって、一年の埃を祓い、新しい年を迎える。今、自分の内面に向き合うことは少なくなってきているけれど、向き合えば向き合うほど、変な葛藤に悩む事は圧倒的に減るし、ライフスタイルも快適になる。
もしかしたら、この風習は、寒く厳しい環境で生きる力を養うものかもしれない、静岡のような平和ボケした環境で育った僕は、そんなロマンに思いを馳せた。
>> 感情を消化していくプロセスに興味があるならこんな講座があります。
 

非言語コニュニケーション使ってる?!

深澤大輝(ふかさわ)
昨日、物理やっている学生さんと話す機会があった。(というよりは、僕がごり押しして誘ったんだけど。。。ね)
そん時に、ふと思いついたので、フードサイコロジーでも使っているドイツのバイオレゾナンスという仕組みをちょっと話してみた。そしたら、「それは医学物理学でいう、共振共鳴っていう新しい分野ですよ。」って言われ、嬉しくなった。そうなんだぁ・・・

共鳴共振の原理ってなに?

バイオレゾナンスっていうのは、要は中学の実験みたいな話。同じ音(周波数)の音叉を2つ手に持って、片方をならせば、もう片方は直接鳴らさなくても勝手に鳴り出すって原理と一緒。同じ周波数は、共鳴、共振をしあう。
これがドイツだと、固有の周波数(インフルエンザなら、インフルエンザの周波数)をはかってあって、それを体に流すと、自分に同じものがあれば共鳴するし、なければ共鳴しない。風邪菌が体にいれば共鳴するし、いなければ共鳴しない。(もちろん、共鳴の度合いもあるけれどね。。。今日は省略!)

良いことも悪いことも自分がよく知っている

フードサイコロジーでは、この仕組みを問題解決に使っている。どれだけ隠しても、自分が持っている感情や、しまい込んだ記憶と同じものを自分が持っていれば、それに対して必ずアクションを起こしてしまう。
つまり、自分が誰かにストレスを感じていたとして、その原因は相手にあると思うんだけど、実際は、自分の中に共鳴するものがあるから、気になっているってことで、基本的に相手は悪くない。解決するべきは、自分の中の共鳴をしている部分。そこをクリアすれば、だんだんと気にならなくなってくる。

どうやってクリアするか?

問題は、どうやって解決するか。いろいろ試して一番、楽で、変な方向に行きにくかったのが、非言語的アプローチ。言葉を使うと、納得や解決は早いんだけど、表面的になってしまうことが多かった。だから、フードサイコロジーでは、体を使った非言語的ワークを取り入れているし、ユグ塾でも、本来の自分に腰をすえたライフデザインにするために非言語的ワークを多く取り入れている。
つまりは、体をつかってよく味わうってこと。それを、味わいのワークって僕はいってます。今日1日、起きたことを解決せずによく味わってみては?
>> 僕も自分でよく使っている簡単なワークを紹介しました。
 

食べない?プラーナ率??なんだそれ!!??

深澤大輝(ふかさわ)
昨日、ある療法家と話していて、不食の話を色々と聞かされてそうなのか〜と納得した。え?不食?食べないの?と思ったのなら、きっとこの話は、あなたにも役に立つはず。
僕も、以前お世話になっていた方が不食で、プラーナを食べているとおっしゃっていたので、7年前くらいに不食の事を知ったばかりなんだけど、始めは、ばかな、そんな話があるわけない!と思っていた、、、
でも、昨日の話でいくと、どうもプラーナを食べて生きている人が海外はもとより、日本でも出てきているという。

僕らは、なんの原動力で生きているのか?

ちょっと詳しく話すと、人間が生きて行く上ではエネルギーが必要なんだけど、僕らは普通、食べ物を食べて、消化して吸収しやすい形に整えた上で、吸収をしてエネルギーとして使えるようにしている。色んなエネルギーがあるけど、中学校とかで習った例を出せば、「ATPからエネルギーをとるとADPになりますよ〜』みたいに、僕らには、生きて行く上で食べ物からエネルギーを吸収するという観点をすごく身近に思っている。
でも、プラナリアン(プラーナ食べて生きている人々)は、プラーナをエネルギーとしてうまく活用できるから、食べ物からエネルギーを取らなくても活動できるようになるらしい。それをプラーナ率(効率)っていうそう。

食物かカスミか、プラーナをエネルギーに変換する率

例えば、プラーナ率25%という人がいたら、その人が必要なエネルギーの75%は食べ物から、25%は空気中のカスミ(プラーナ)から得ているという感じ。だから、その人は、普通の人よりも25%食べ物を取らなくても、空気中のプラーナから、25%を補える。ほおほぉ、じゃぁ、仙人みたいになってくるとほぼ100%はカスミを食べて生きるってことだ。。。
っと、理論的にはわかったんだけど、本当にそうなのかと疑いたくなる。
でもさ、この前ノーベル賞をとったニュートリノとか、まだまだ見えないけど存在する物質っていうのはまだたくさんあるんだよね。だから、プラーナっていうのは何種類くらいのものの総称かとか、科学でまだ定義できないんだろうけど、あながち嘘じゃないと思う。

実は、実践してみた、、、

僕は、結構自分で体験しないと信じないタイプなので、本当にそうかやってみた。といっても、断食したわけじゃなくて、普段は大抵2食なので、だんだん1食にして、二日で1食にするとか試してみた。
そうすると、あれよと言う間に、体重が落ちて、4キロくらい落ちた。元々そんなに肉付きが良い方ではないので、結構スリムになってしまった。。。で、体調の方はどうかというと、そんなに体調的には変わらないんだけど、頭は冴えてきて、活力もやる気もある。そして、お腹は空いているようなんだけど、特に食べようという気になれず、ただ次に食べるご飯が楽しみだな〜という感じで、難なく日常も仕事もこなせた。
ほんの少し経験すると浅はかな僕は、すぐに憶測をする。もしかしたら不食って、あり得るかもな、、、と。でも、本当に一理あるかも。

「良い食材」という前提条件を超える

それで、実践してみてわかったのは、次に食べる1食の重要性。もちろん、良い食材を使うという事はあるのだけど、それ以上に大切なのは、その食材に活力があるかどうか。つまり、どうやって調理するか。難しいテクニックとかそういうのでなくて、東洋哲学でいう食べ物の中の「気」をどうやって高めて調理していくか。その観点をいれるかどうかっていうのが大切だと切に感じた。
僕らは、栄養学とか食材の陰陽とか、食材が良い状態でいることを前提にした食養の理論を使ったりするけど、今の素材が時を経ても同じかわからない。それよりも、食材が本来の状態に近づいて、お役目を果たせるように、調理してあげる必要がある。多分、それが、お金がかからなくて、お手軽って意味での日常的でシンプルな料理だと思う。
ユグラボでは、そんな料理を「呼吸の料理」と呼んでいる。今回の話を聞いて素材の性質でなく、その中身を見るという僕らの方向性は、研究しがいがあるな〜と思った。
結局、長々書いたけど、今日の晩ごはんは、いただきます!っていつもより大きな声で言ってみよう。。。笑 いただく方の気持ち、これも調理するのと同じくらい大事。(あ、大声出すなら心の中でね。。。笑
>> 
呼吸の料理について詳しく知りたい?
だったらぜひチェックしてみてください

紙と鉛筆だけ、あなたの魅力と強みを最大限に伝える方法

[taiki]
 
(深澤)
 
今日は、チラシの事。こういうのはofficeの方にアップしているんだけど、こっちにアップ。
 
フードサイコロジーのページがしばらくメンテ中になっているにも関わらず、お問い合わせ頂いたり、セッションを受けて頂いたりしていて、本当にありがとうございます。
 
なんでチラシ制作の記事をこっちにアップしたかというと、フードサイコロジーを受けてくださる方でセラピスの方の割合って意外と多いです。3分の1くらいは多分そっち系の方。
 
そのせいか「施術を学んだのですが、なかなかお客さんがつかなくて、何か方法はないですか?」 ってよく聞かれるのですが、、、調べれば、ブログとか、サイトとかメルマガとか、いろんな方法が、それこそ、星の数ほどあって、どれから手をつけていいか迷う人って多いような気がする。
そこで、最初に考えるべきは、2つについて、今日は書こうと思う。
 
> ちょっとでも悩んでいるなら、ぜひ一読!
 
 

ストレスを自己治癒力でなおす仕組み

[taiki](深澤)
 
ユグラボでは、フードサイコロジーというサービスを提供させて頂いているけれど、最近、この流れが少しずつ変わってきた。
 
初めは、食で体をケアし自己治癒力を高め、心のケアに役立てようと考えていたのだけど、ライフマネジメント的に使って人生そのものの流れを変えるような方向に変化してきた。
そもそも、フードサイコロジー自体は、最初、自分が食養の事をし始めた時に、困った事をお伝えしようという取り組みだった。
 

不食で、食の認識が変わる

例えば、最近では、不食の人も出てきていて、「食べる食」が人の全てでないことが少しずつ、知られてきたが、食養をやり始めると、食の素晴らしさを目の当たりにし、さらに実践すると劇的な変化も実感するので、食に対する信仰(僕の場合は、思い上がりだったけれど。。。)が強くなるというか、見識を見失ってしまう事がある。ある意味とても、religiousになってしまうこともある。自分自身も、13年前に食養に手を出して、数年でそのスパイラルにはまった。。。。
 
当時、それを助けてくれたのは言語学だったんだけれど、今回は置いておくとして、その時、どの療法がいいのか迷うようになってしまった。食だけを気をつけても、社会の毒にまみれたら一瞬にしてまた体調が戻るし、どうしたら継続的で生活に馴染んだ食生活ができるのかというジレンマに陥った(特に当時学生だったから、食養を実践すること自体が、周囲の流れに逆らうような食生活だった。。。)。
 
それで、その時に色々と学んだ教訓やアプローチをブラッシュアップし、いろんな療法のエッセンスを取り入れ、食と心のケアをフードサイコロジーとして2010年にやり始めた。そこを説明すると長くなるので、今回はカットしてしまうけれど、そういったものを経てできた、フードサイコロジーの核は、とても単純で「味わいのワーク」に集約された。
 

とても経済的なセルフマネジメント

味わいのワークというのは、食べ物をよく噛めば(味わえば)、消化しやすくなるように、感情もよく味わえば消化してくれるという体の仕組みを利用したもの。
 
体って不思議で、食べ物を食べた時に、「消化してね」ってお願いしなくても、「ちゃんと消化しよう」って意識しなくても、勝手に、しかもきっちりと消化してくれる。しかも、嫌いなものでも何度か食べていればだんだん気にならなくなるという適応能力さえも持ち合わせている。
 
味わいのワークは、その仕組みを心に応用したもの。どれだけ落ち込んでも時間が経てばある程度復帰できるように、心の問題についても、体はしっかり自己治癒力をお願いしなくても発揮してくれる。
 
フードサイコロジーでは、体を食でケアし、ワークで促進させる方法を取っている。だから、食養はとっても有効な方法なんだけれど、もう一歩進めていくのがフードサイコロジーって位置付けになるのか。。。
といっても、どの食養生にも元々は心のケアが入っていたんだけど、時代を経て、食べ物ばかりが注目されてしまったというのもあって、ユグラボでは、フードサイコロジーという名称を作ったわけだけれども。。。(だから、フードサイコロジーって特に新しいものじゃないんだよね笑)
>> 気になる人は、無料講座で試してみるのも良いのかも。。。
 
 

不食と食べ物の気3

(深澤)
 
不食の話題が好評なので、第三弾。
 
先日、秋田に出張に行った時に、たまたま、食と祈りの話が出た。
 
ユグラボでは、素材の本来のエネルギーを引き出す料理として、呼吸の料理をお伝えしているが、ある意味では祈りの料理とも言える。祈りは色々なものがあるけれど、呼吸の料理の場合は、感謝の祈りを重要にしている。
 
調理をするときでも、頂くときでも、食材の恵みが大自然と人の協力を経てこの場にある事をイメージしながら、感謝をする。最初は難しいかもしれないが、慣れれば普通の頂きますと同じくらいになる。
 
以前、あるレストランに行った時に、よく感謝してから食べ始めたものと、普通に頂きますをして食べたものとを、食べ比べた事があった。結果は一口食べれば明白で、前者の方が料理が味わい深く、オーリングなどの筋力テストをしても、筋肉がポジティブな反応をしていた。(もちろん、呼吸も深くなる。)
 
実は、同じ料理を食べてるようで、自分の料理と隣の人の料理とは、全然異なる料理なのだ。あなたの頂く料理はどうだろう?料理は技術よりも大切なものがある。
 
 >>食材のめぐみを活かす調理法はこちら