自由経済と、自己の演出

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一昨日、いつもお世話になっている麻布のゆんぼうやさんで、パーティのおつまみをつくりに行ってきた。
ゆんぼうやさんはレンタルスペースをしていて、利用者の方の交流会だった事もあり、私も、こっそり参加させていただいた。
ひとりずつ話をする中で、その後の展開もあったからか、
「人は全て、自分の見方で生きている世界が変わるんですよね。」と言っていたNLPの方の言葉は後を引いて残った。
私も、自由経済の中に生きている私達が、クリアしなければならない課題そのものが、まさにそれなのではないかと日々思っているからだ。
社会的に良い人を振舞うことで仮面をつけて、本当の自己を抑圧したりする事、少し心理学をかじった人なら知っている。その仮面のウラにはシャドーという、いわば、自分の見たくない部分が隠れている。しかし、人は、汚い部分を人に見られたくないと、自分を守る仮面をどんどん厚くしていく。
自由経済は、これを色濃く反映する。この経済モデルの中に自由はあるのだが、心の使い方も自由。他者との比較によって自己を演出する、資本主義の中での、自由経済は、ホントの意味では、まだ自由ではない。幸福は外にあり、外との優劣により、自分の幸福感を作る時点で、内なる幸福は希薄だ。
ここから一歩先に進み、新しい経済活動を実践していくには、新しい経済活動モデルが必要になる。実は、日本でもごく一部の人たちは、もうその活動を始めているが、一般的には、まだ難しい。
ホントの自由経済で生活していく為には、シャドーを自分で見つめていく必要がある。自分がイライラしたり、腹を立てたり、付き合いにくい人がいれば、それはシャドーが関係している場合がある。また、そう思わない事自体にもシャドーがある。そういう人の方が、案外根が深いものだったりする。
しかし、一旦シャドーを見つめ始め、抑圧が小さくなってくると、前は辛かったシチュエーションだんだん苦でなくなる。
人は、自分の心により、現実を感じ、その心の抑圧の衝動によって動かされている。仏教では、第2の矢などといったりしているように、結局は、抑圧から常に湧き上ってくる衝動に耐えられなくなると、心が痛み、行動が出てしまう。
シャドーは、ほんの一例だが、他者から自己を過剰に演出する機会が減ってくれば、先入観なしで人と接し、自然と、人間関係が理屈ではなく改善されていく。結果として、いい仕事ができるのは言うまでもない。
そうなってしまうと、その仕事をする中に幸福感を自然と見出すようになり、他者との比較から抜け出せるようになってくる。フードサイコロジーを体験した人が、仕事の充実感を以前よりも濃厚に感じ始めるのはその為だ。
いつも、私が料理をするとき、頂くときに思い浮かべる言葉がある。教室やセミナーでは、まだ一度も公開したことがないが、もう10数年お世話になり続けている。
 
 
生も死も ただこの日 一日 よろこびて 生きるのみ (芹沢光治良)
 
その日暮らしのように、自分の内面に幸福感を感じる、良い仕事を心がけたい。